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身体的・心理的虐待を繰り返し受けていた主人公の「救い」を描いた名作マンガ

『新装版 アカシアの道』
近藤ようこ著/青林工藝舎
http://www.seirinkogeisha.com/book/406-5.html

10年ほど前、精神科医の斎藤学先生のもとで家族病理について学んでいたころに出会った漫画です。母娘の愛憎物語として憶えていましたが、あとがきにあるように、「虐待」をテーマとした物語であることはすっかり忘れていました。当時は精神医学や臨床心理学の知識に乏しかったこと、そして自分自身についてを言語化できていなかったために、読解力が低かったのだろうと思います。

身体的・心理的虐待を繰り返していた母が老いて認知症となり、かつての被虐待児であった主人公女性が、母の介護のために離職を迫られ、自身のフラッシュバックと母のBPSD(認知症の行動・心理症状行動)に、心中の一歩手前まで追いつめられます。同じ立場だったらと想像するだけで苦しくなりますが、作者の言うように、この物語には「救い」があります。そのことについては最後に触れたいと思います。

ボケた母に感じる堅くて冷たい印象は、認知症に由来するものではないと思います。身近にいる、「不可解なひと」に感じる印象にとてもよく似ています。もう少し言葉を重ねると、「欲や気持ち、感情が伝わってこないひと」です。精神医学には「アレキシサイミア」という概念があります。日本語にすると「失読感情症」です。自分の感情や欲求を自分で読めない、知覚できない状態をいいます。心的外傷を負った方に共通してみられる特徴のひとつが、このアレキシサイミアです。

暴力的な母もまた、暴力の被害者だったろうと想像しながら(そのような描写はないが)読み進めていました。ちなみに、認知症の最重度といえる状態にある方の職業を調べると、この母と同じ教師であることが多いそうです(データがあるかはわかりませんが、専門書でよく見かけます)。また、高齢者介護の専門職に就いている者として、介護保険施行前の描写は新鮮でした。専門的な職としての好奇心で書きたいことはここまでにします。

娘が後半、「不幸に甘えていた」とこぼした言葉が心に残っています。彼女と同じように、僕もまた、家族に苦しめられ、悩まされ、自分だけが不幸だと、物心がついた頃から思っていました。あれから30年以上が過ぎ、いまは「長いこと悩むことの魅力に憑りつかれていた」と思います。苦しみに快を憶えているために、「自分いじめ」のようなループを繰り返していたなと。

アカシアの花が雪のように舞う最後のシーンで、娘は「こうして手をつないでほしかったの。お母さんはやってくれなかったけれど、私はやってあげる」と母の手を握ると、母は「ありがとう」と娘に応えました。

誤魔化し、すかし、決して娘に向き合おうとしなかった母が求めに応えたのは、認知症ゆえだろうと思います。アカシアの花が呼び起こした幼い頃の記憶と、母の進行する病が、娘の求めていた素朴で、切実な願いを叶えるきっかけを与えてくれたのではないでしょうか。愛してほしい人の温もりを感じることができるほどに、娘が感情を取り戻していたことも表情の変化からうかがえます。

家族のなかで起こる不条理は、私たちの理解を超えた結果をもたらすものだということを、自分の体験からも学びました。しかし、いまも古傷の痛みに苦しんでいらっしゃる方にとっては、これらの言葉がまた痛みを呼び起こすトリガーになりうるのかもしれません。自分はどのような影響を相手に与えるか、考え悩む日々です。(青)